こんにちは。カトヒサ(@hisayosky)です。
会社辞めて再就職しなかった人ってどうなるの?
やっぱ野垂れ死ぬ運命にあるんじゃないの〜?
2018年3月に11年勤めた会社を辞めました。ついでに会社員も辞めました。
コネもスキルもなかったですが「このままでは人生もったいないし、ヤバい気がする」という直感に任せての決断でした。
あれから1年経ってぼくはまだ会社員を辞めたままでいます。
思った通りではなかったけれど、思ったよりもいい線いった一年でした。
今回はそんな会社と会社員を辞めてからの1年間を振り返ります。
とりあえず1年間フリーとして生き残れた理由なんかも考えていきます。
- フリーになることを考えている人
- 会社勤めがいい加減ツラくなってきた人
- 会社辞めたらどうなるのか知りたい人
の参考になれば幸いです。
ではいってみましょう。
会社を辞めてからの1年を振り返る
2018年3月「会社を退職」
11年勤めましたが、人間関係のトラブルと仕事に一生懸命になれないのが嫌になったことで「続けても先はない」と退職を決めました。
会社員を続けても先細りは目に見えていたので、会社に頼らないで生きていける力をつけるべく無職からはじめることにしました。
2018年4月「無職スタート」
会社を辞めたものの仕事になるスキルは何もありませんでした。
退職する半年前から始めたブログを毎日ひたすら書いていました。それしかやることがなかったからです。
「とにかく遊んではいない」と思うことで心のバランスをとってましたね。
2018年5月「引き続き無職」
この頃はブログも含めて収入源ができていなかったので、とりあえずメルカリで収入を作っていました。
とにかく収入をゼロにはしないようにしていました。意地ですね。
2018年6月「iSaraに参加」
衝動的にiSaraに参加しました。
ぼくはプログラミングに関心があったわけではありません。自分にはむずかしすぎるとさえ思っていました。
iSaraに参加しようと思ったのは、「フリーでやっていくならフリーでやっている人の中に入った方がいいだろう」と考えたからです。
やっぱりと言いますか、プログラミングは全然思い通りにできなかったですね。この時点で自分に合っているとは思えませんでした。
2018年7月「バンコクにてiSaraに参加」
事前学習を終えバンコクで3週間、フリーでやっていくスキルを学びました。
この時にはじめて「フリーで仕事ができている人たち」と「フリーでやっていこうとしている人たち」に会いました。
プログラミングは相変わらず大変でしたが、本当に楽しい1ヶ月でした。
明らかに今までとは違う、新しい扉が開いた感じがしました。
2018年8月「『フリーランス』を名乗ることにした」
一応 Web 制作ができることになったので「フリーランスと言ってもいいかなあ」と考えました。少なくとも「無職」ではないなと。
振り返ってみると、このときの実力ではとてもWeb制作案件は受けられませんでした。
幸運だったのは、この時期にWeb 制作案件が1件も来なかったことです。われながら引きが強い。
デザイン案件を何件かこなしつつ「こんな感じでフリーランスでもやっていけるのかなぁ」と漠然と思うようになりました。
2018年9月「燃え尽きた」
9月は1件も仕事をしませんでした。かろうじて自分のポートフォリオサイトを作りました。
自分のスキルの無さに焦り、やる気までなくなるという悪循環に陥りました。ほんとどうしようもなかった。
案件を取るなんて怖くてとてもできませんでした。
リアルに「フリーランス無理かも」という考えがちらつきました。
2018年10月「自分の勝ちパターンとして『本で勉強すること』を覚えた」
WordPressができないと仕事にならないと思っていた時に『 WordPress レッスンブック』に出会いました。
それまでドットインストールとサイト模写で勉強してもまったくわからなかった WordPressが革命的に分かりやすく解説された本でした。
この本を一冊やりきったことにより「ひょっとしてWordPressできるようになるかも」と思えるようになりました。
また「本で勉強するのが自分には合っている」と気づくことができました。
じつを言うとこのときの実力ではWordPress案件をやるのはまだ無理だったんですが、ときに勘違いは重要です。
投稿が見つかりません。
2018年11月「海外ノマドでパソコンを盗まれた」
「せっかくフリーになったんだし海外ノマドやってみるか」という軽いノリでタイ・マレーシアに1ヶ月間滞在しました。
その矢先、マレーシアで荷物を全部盗まれノマドどころではなくなりました。
雰囲気で海外ノマドなんてやるもんじゃないなと心から思いました。
パソコンを失ったこの1ヶ月はスマホでブログしか書けませんでした。
パソコンの大切さが身に沁みた出来事でもありました。
2018年12月「個人事業主になった」
確定申告を考えて個人事業主になりました。
屋号は「かじとりや」です。このブログが元になったのは言うまでもありません。
このブログがなかったらここまで来てなかったので当然ですね。
個人事業主になるのは「紙一枚出すだけだよ」と聞いてはいましたが、本当に紙1枚でビビりました。
この頃 HTML&CSS を本で勉強し直しました。
素直に「今の実力では仕事でHTMLサイトを作るのは無理」と思ったからです。
その結果、HTMLサイトのコーディングにある程度の自信がつき初のLP制作案件を受注し着手することができました。
2019年1月「初のWordPress案件をやりきった」
WordPressのコーディング案件を受注し、なんとかやりきりました。が、めちゃくちゃ大変でした。
この案件を受ける前に「WordPressレッスンブック」を再度復習して望んだのですが、それでギリギリ間に合った感じです。
依頼をくださった制作会社さんも「この人にWordPressは無理だな」と思ったようでしたが、やりきったのがよかったのかその後HTMLサイトのコーディング案件につながりました。
投稿が見つかりません。
2018年2月「営業を再開した」
「これはできます!」と自信を持って言えるスキルができてきたので、しばらく休んでいた営業を再開しました。
1月にポートフォリオサイトをリニューアルしたのも営業再開の追い風になりました。
ある程度できることがないと自信を持って営業できない性格なので、それまでの営業はわりとツラかったですね。
2018年3月「本格的なHTMLサイトのコーディングをやりきった」
これもまたひどい目にあいましたが、なんとか最後までやりきりました。
仕事している時は「もうこんな依頼二度と受けるか!」と思ってましたが、終わったいまは「こうやって実力が付いていくんだろうな」と考えが改まりました。
「HTMLサイトのコーディングだけでもやっていけるかも」という手応えを得た案件でもありました。
今後もコーディング案件は積極的に受けていきます。
退職してから1年後の現在地
1年経ってどうなっているか、現状を赤裸々にお伝えします。
ぶっちゃけ会社員の時ほど稼げていない
「1年後に会社員時代の収入を超えられたらいいなあ」と思ってましたが叶わずでした。
しかし目標の半分くらいは達成できています。動きさえ止めなければあとは時間が解決してくれるでしょう。
収入が得られるスキルの「素」は身につけられた
辞めた時には収入が得られる手段が本当に何もありませんでした。
現在は「WEB 制作」と「グラフィックデザイン」で仕事が受けられるようになったほか、わずかですが「ブログの収益化」ができるようになっています。
会社に所属しなくてもできることが見つかったのは大きな成果でした。
「これからするべきこと」が固まってきた
わりと最近まで「あれもしなきゃこれもしなきゃ」と焦っていましたが、今はやるべきことがかなり絞られました。
具体的には
- コーディングを早くできるようにする
- デザイン力を高める
この2つがメインだと考えています。
JavascriptもPHPも、WordPressでさえも当面はそんなにこだわらなくてもいいかなと。
HTMLサイトのコーディングだけでも十分仕事ができるとわかったからです。
「デザインからコーディングまで全部できるようにしなきゃ」とも思っていましたが、それも今でなくていい。
コーディングとデザインのスキルを高めた結果、それぞれが半年から1年後に出会ってくれればいいかなとゆるく考えています。
会社員辞めた一年目はどんな期間だったか
ひと言でいうなら「拡散」の期間でした。
「何もない」「何者でもない」ところから手当たり次第にできることを試して働き方のスタイルを作る。
そういう時間だったと思います。
いろんな方面に拡散を図った結果、1年経って元になりそうなものがうっすらとできました。
スケールの大きな話で例えると、ビッグバンの後でのちに星なる粒ができたところです。
言うなれば「退職ビッグバン」の1年でした。
退職後1年目を持ちこたえられた要因
この4つが大きかったんじゃないですかね。
要因1「貯金があった」
もともとお金を使うほうではなかったので資金にはわりと余裕がありました。
収支を見るとこの1年で300万円くらいは使っています。
会社を辞めてフリーになるなら準備に300万円くらいはあったほうがいいですね。
ただしこれだとギリギリなので、心の余裕を保つなら400万円は必要と思います。
要因2「フリーランス仲間の中に入れた」
もともと会社員だったので、退職当初はフリーランスでやっていけるイメージがまったく湧きませんでした。
その意味でiSaraに参加できたのはラッキーでしたし、われながら英断でした。思い切って跳んだもんです。
iSara周りの方々はフリーランスばかりでしたし、iSara後に行った営業でもフリーの方と知り合うことができました。
孤独に一人でがんばっていたら何をしたらいいのかわからなくて心折れていたと思います。
会社員だった時は会社員でいることが普通だと思っていました。
自分がなりたい人達の集団に入るのは大事ですね。
要因3「とにかくできることだけはやった」
稼ぐ手段がないときでもブログだけは書いていました。
そのうちメルカリをやるようになりました。
仕事を取れる力がないときには本を買って勉強しましたし、出来る範囲で営業もしました。
「いや〜ほんとダメダメだなぁ」とか言いながらYouTubeを見て一日終わるような過ごし方はほとんどしていません(ゼロではない)。
正しい方向だったかはわかりませんが、昨日と違うところに少しずつ動いていった結果が現在です。
とにかくできることをやったのは間違っていなかったと思います。
要因4「実家に住まなかった」
家賃や生活費を考えると実家に住んだほうがよいのですが、うちの場合、実家は集中できる環境ではありませんでした。
いろいろ世話してもらえるのでダラけやすいというのもあります。
退職後も住んでいたアパートにこもり、(やろうと思えば)朝から晩まで作業に没頭できる環境に身を置けたのはよかったです。
また家族に特に大きな問題がなく、自分のことだけに集中できたのもラッキーでした。
いろいろ言いたいこともあったでしょうが、好きにさせてくれた家族には感謝しています。
これからの1年は「狭く、深く」
最後にこれからの1年をどうするのか書きます。
今後は狭く、深くスキルを濃くしていきます。
先ほども書きましたが、「コーディング」と「デザイン」に特化して仕事がこなせるようにしていきます。
これができれば会社員時代の収入は超えることができるでしょう。
経験上、稼ぐお金の額を目標にするとロクなことがないので、年収や月収は目標にしません。
とにかくコーディングとデザインでたくさん仕事ができるようになれればいいです。
【FREENANCE(フリーナンス)】
まとめ:会社辞めて1年経ったけれどなんとかなってます
- われながらがんばった
- この調子でまた1年やっていく
- まわりのことは気にせず、自分の領域をもっと濃く埋めていこう
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