フリーランス予備軍のカトーです。
この記事、Twitterで流れてきて思わず2度見しました。
>>>ぼくが「現金ではなく信用を稼ぐ」という愚行をしない4つの理由 ーHIKIKOMORISM
「信用でなく現金を稼ぐという愚行」の間違いじゃない? と思ったのですが間違いじゃなかった。
たしかに「現金でなく信用を稼ぐという愚行」と書いてある。
最近のネット界隈にはこのような風潮がたしかにあります。日に一度は「信用を稼ぐ」という言葉を目にしている気がする。
「稼ぐ」といえば「お金」だったぼくにとって「信用を稼ぐ」というのは斬新な考え方で「まったくそのとおりだ!」と諸手を上げて賛成していました。
この記事はそこに一石を投じたわけです。
というか冷や水をぶっかけられた。
「あれ、なんか自分「信用を稼ぐ」風潮に踊らされてない???」
と心配になったので改めて考えてみました。
「現金より信用を稼ぐ」ことは本当に愚行なのかどうか。
先に結論を言ってしまいます。
それでもぼくは信用から稼ぐのがいいと思った。
そうでないと現金にたどり着けないからです。
今日はそんな話をします。
「愚行」の記事を書いた人
ヒキコモリズム井上さんといいます(上の画像はTwitterより転載)。
家族とのんびり暮らしたいので、ベンチャー企業の幹部をやめて在宅で稼ぐプロ引きこもりになりました。
詳しいことはこちらの井上さんのブログをご覧ください(上の文も井上さんのブログからの引用です)。
ざっくり言うとフリーランスでやっていくための技術、考え方、お金こと、ライフスタイルなどを発信されている方です。
ブロガーが集うサロンも運営されていてぼくも参加しています。
Twitterで井上さんのツイートをはじめて見たときには正直ひきました。この人には関わらないでおこうと思ったくらいですが、いまサロンに入っています。わからないものです。
サロンにおける井上さんはとても面倒見がよい印象です。まめにリプライされていますし、コンテンツの更新が頻繁にあります。個別コンサルまでしてくれています。利用者のことをよく考えてくれているなあと感じます。いいサロンです、まじで。
「愚行」の記事の要点
その井上さんが書いた記事の要点はずばり
「信用より現金を稼ぐべきだ」ということです。
なぜなら信用は現金にくらべて不確実なものだから。
どういう点で不確実なのかといいますと、
- 信用とは他人の感情なのでひょんなきっかけで一気に崩れる(なにげないひと言とか)。
- 崩れたら重たいペナルティを背負うことにもなる(ファンが一気にアンチになるとか)。
- 信用を現金化するには相手方に余裕があることが前提となる(自分のことで精一杯なら人は身銭を切らないでしょ)。
なんで価値創出→信用→現金というワンクッション挟むんだろ? 価値創出→現金でよくね?
だから信用できる自分を鍛えたらどう?
ざっくり書くとこんな感じです。
「価値創出→現金」はいいけれどよくない
井上さんがおっしゃるような価値創出→現金という流れができればいいのですが、なかなかそうはなりません。
たとえば田舎でハーブティを特産品にして売ろうとしても人は買ってくれません。とても香りがよかったりおしゃれであったとしてもまず売れないでしょう。「ものすごいリラックス効果!」とか言ってもだめでしょうね。たとえそれが本当であってもです。
なぜ売れないのか。信用がないからだとぼくは思います。
もしこのハーブティがマツコ・デラックスさんのお気に入りとしてメディアに紹介されたら買いたいと思う人が現れるでしょう。
宮内庁御用達でもライザップ推薦でもなんでもいい。商品に一定の価値があるとして、それに「信用」が加わると価値がぐっと高まって「買いたい」という人が現れるようになる。
だからぼくのイメージでは一番はじめに信用がきて、信用→価値創出→現金となります。
信用があるとモノの価値が変わる
この流れを強く実感するのは自分がネットでものを買うときです。
たとえばぼくは先日この本をアマゾンで買いました。
ネットで注文なので中身はよくわかりません。つまり価値があるのかどうかは未知数。なのに「買おう」と思ったわけです。
なーんでか。それはね、
あんちゃさんのおすすめだったから。
このお方、ブログをやっている人なら知らない人はいないというくらいの大物ブロガーです(画像はブログ「まじまじぱーてぃー」より転載させていただきました)。
ぼくはあんちゃさんのブログを読んでいます。ものすごい早さでブログで収益をあげたらしいことも知っています。記事はおもしろいですし、ページからはどことなく大物の風格さえ感じられます。覇気とでもいいましょうか。ブログを通じてとにかくすごい人だとぼくは認識しています。
そのあんちゃさんが「いいよ、これ」と言っている。「じゃ、買おう」。これです。
同じ本をぼくがレビューしても「じゃ、買おう」となる人はまだあまりいません。いや、ぜんぜんいません。
なぜならぼくには信用がないから。
ブログ運営でこんな成果をあげましたとか見るからにいい雰囲気のブログになっているとか、面識のない読者が「この人すごい!」とわくわくするようなものがまだない。
同じ商品でも「誰が勧めたか」によって買い手にとっての価値は変わります。
だからまず信用。というのがしっくりきます。
ネット上の「信用」は「人気」
何者かになること。これがネットにおける信用ではないでしょうか。
ここでいう信用はぼくたちがリアルな日常でいう信用とは少し違います。
「あの人は信用できるからお金を貸してあげよう」という場合。
日常での人間関係で信用を得るには何者かである必要はありません。誠実で約束を守りうそをつかない。そういった振る舞いから「信用できる」と判断してもらえます。
いっぽうでネットにおける信用は「発信内容に共感できる」「おもしろい」「かっこいい」「すごい成果を出している」というところからついてくるものです。
「言ったことを守る」「ブログが定期更新される」といった振る舞いから信用が得られることもあるけれど、書き手とじかに会って関わっているわけではないので「わかるー!」とか「すげー!」のほうが信用の形成に寄与していると思われます。
これって尊敬とかあこがれの要素も入っていますよね。すごいブロガーを見て「あの人みたいになりたい」と思うような感情。だからネット上の信用は、信用というより「人気」というほうが自分としてはしっくりきます。
キングコングの西野さんは自身のブログの中で「「人気」の正体は「信用」と言えるでしょう」と語っている。
有料ライブ(ダイレクト課金)に必要なのは、「認知」ではなく「人気」で、「人気」の正体は「信用」と言えるでしょう。
「信用」が「人気」とほぼ同じものであるとすれば、ファンが突然アンチになったりするのもうなづけます。こつこつと積み上げたリアルの信用はそう簡単に急落しないしアンチも現れません。そのかわりファンもいませんけれどね。
そう考えるとリアルの信用って地味です。地味だからこそ積み重ねる意義があるとぼくは思います。
リアルの世界だと人気と信用はべつものです。
だから信用できるけど人気はないということはあり得る(例:うちの父は信用できるけれどべつに人気者ではない)。
信用できないけれど人気はあるっていうのもありますね(例:むかしの落語の師匠はそんなイメージ)。
ネットの世界では相手とじかに関われないから人気が信用化したのか。
いや、もしただ記事を書いて人を楽しませるだけの世界だったら人気は人気のままであったはず。
そこに「ビジネス」が絡んできたから「信用」が「人気」とすり替わったのか。
いずれにせよネット界隈で人気と信用がほぼ同じものになっているというのは間違いないと思います。
信用の威力はすさまじい
ネットの世界で「信用がある」ということは「人気がある」ということであり、人気があるということは「人に与える影響が大きい」ということ。その影響が人におよぶとものを買っちゃったりする。
この力は本当にすごい。
インフルエンサーからちょっと「これいいな」みたいなツイートが来ただけで自分もほしいなという気持ちになってしまいます。おもしろいほどにクラッときます。軸がブレブレでわれながら情けないほどですが、そういうものなのです。
結論
ぼくは来年度からフリーランスになります。なので自分で稼ぐ力をつけるべくいまからあれこれと試行錯誤しています。
ここでもしぼくが「現金を稼ぐ」ことに集中してしまったら「なにかを売ろう」としてしまう。売ろうとしている雰囲気があったらほしいものでも買いたくなくなります。ぼくが客なら買いたくない。
では、どうするか。
稼ぐ力をつけるなら、まずは信用から稼ぐしかないと思うのです。「この人が言うならきっとそうだ」と思ってもらえる人になるしかない。というのが現在のぼくの考えです。
そのためにいまぼくができるのは人に読んでもらえる記事を書くこと。そのために労力を惜しみなくつぎ込む。質も量も求めていく。
信用は大事。それは間違っていない。だからぼくは信用から稼ぎます。
ただ個人的に「信用を稼ぐ」という言い方は好きじゃないです。
「信用を集める」というほうがよろしい。RPGで金貨を集めるイメージですね。あれ、稼いでませんから。